Слайд 2人物紹介
エフィム・プチャーチン提督
1803年11月8日(サンクトペテルブルク)~1883年10月16日(パリ)
ロシアの海軍軍人、政治家、教育大臣
日本に来て、日露和親条約を締結しました。
Слайд 3時代背景
日本が鎖国中でいる間、ロシア人は日本との経済関係を結びたかった時代でした。アメリカより早く条約をしたかったけど、結局ペリーより2ヶ月遅く来日しました。
ロシアの船のために長崎、戸田、はこだて港が開きました。
ロシアが日本で商売許可をもらいました。
千島列島のいくつが日本のものになりました。
Слайд 4実績・影響
1854年に下田市での交渉中にプチャーチン提督の船、ディアナ号が津波で大きい被害を受けて、静岡県の戸田村へ修理をしに運ばれる予定でした。しかし、その際はディアナ号が沈んでしまって、新しい船を作るしかありませんでした。そして、戸田村民がプチャーチン提督チームを助けてくれて、一緒に新しい「ヘダ号」という船を作りました。
その際で、戸田村に造船博物館があります。そこはプチャーチン提督とその船に関する資料があります
Слайд 5感想
実は私が戸田村にある造船博物館を訪ねたことがあります!そのきっかけでプチャーチン提督に興味を持つようになりました。
戸田村はあまり知られていないところですが、長い歴史があるし、魅力的でとても日露関係に大切な場所だと思います。